スリランカと日本

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■「憎しみに報いるに憎しみを捨ててこそ息(や)む。」
~そう語ったことにより、今の日本がある。それは、一人のスリランカ人のおかげだった~

日本とスリランカの歴史は古い。紀元前 150年から200年にまで遡る。仏教が伝わったのもスリランカからである。
公に外交関係を結んだのは、1952年第二次世界戦後であった。
1951年のサンフランシスコ講和条約締結後、世界で一番早く正式に日本と外交関係を 結んだのもスリランカであった。 当時の大蔵大臣で、後に、初代スリランカ大統領になるジャヤワルダナ氏が尽力したのだった。
スリランカが、「英連邦内自治領セイロン」であった当時、随一の実力者だった彼は、 サンフランシスコ講和会議に出席する。席上、諸外国からは、

「日本に今、この段階で平和を与えるのは、もってのほか。」
「日本は南北に分割して統治すべき」 「日本を独立させるのは時期尚早」

などなど、さまざまな議論・意見が出る中、ブッダの言葉を引用し、こう語った。

「戦争は戦争として、終わった。もう過去のことである。 我々は仏教徒である。
やられたらやり返す、憎しみを憎しみで返すだけでは、 いつまでたっても戦争は終わらない。
憎しみで返せば、憎しみが日本側に生まれ、新たな憎しみの戦いになって戦争が起きる。
戦争は憎しみとして返すのではなく、優しさ、慈愛で返せば平和になり、 戦争が止んで、元の平和になる。
戦争は過去の歴史である。 もう憎しみは忘れて、慈愛で返していこう。」
と。

対日賠償請求権の放棄を明らかにするとともに、 わが国を国際社会の一員として受け入れる よう訴える演説を行った。この演説が、当時わが国に厳しい制裁措置を求めていた一部の戦勝国を も動かしたといわれ、その後のわが国の国際復帰への道につながる象徴的出来事として記憶されている。
彼の足跡は、今も日本国内に残っている。八王子の雲龍寺、鎌倉の大仏、長野の善光寺の3ヶ所 には、彼の善行に感謝し、記念のための、顕彰碑や、銅像が建立されている。
スリランカ国民からも多大な支持を得ていた、 後のジャヤワルダナ大統領は、 数々の功績を 残し、1996年他界。
国葬には、前内閣官房長官(当時福田康夫総理特使)が参列した。 彼の遺志に基づき、角膜が提供される。

片眼はスリランカ人に、もう片眼は、日本人に。

スリランカの献眼協会は、スリランカ人から提供された角膜を国内外へ無償で贈る運動を 行っており、
わが国にもこれまで約2800の角膜が送られている。

■大戦後のスリランカと日本の関わり
第二次世界大戦中、日本軍はコロンボのアンゴダとトリンコマリーを空爆し、アンゴダの精神病 院の建物や
トリンコマリーの石油設備が被害を受ける。 1951年9月に開催されたサンフランシスコ対日講和会議において、
スリランカ代表の当時大蔵大臣 J.R. ジャヤワルダナ氏(後に大統領に就任)が参加していた国々に対し、

日本への敵意を棄て賠償を求めずに日本を国際礼儀に沿って受け入れるべきだ、と主張

また、日本分割統治案にも反対。

仏教の経典を引用し「憎悪は憎悪によって止むことなく、慈愛によって止む」と発言。

アジアの中で独自性があり、ヨーロッパ列強に対抗できる実力を持った日本を同じアジアの同朋と して誇りに思うと
発言。スリランカ国民の親日さは仏教の教えだけでなく同氏の尽力の結果も大きい。
1954年10月6日、日本は「コロンボ・プラン」に加盟、被援助国から援助国への仲間入りを果たす。
これを記念し日本では10月6日を「国際協力の日」と定める。

※サンフランシスコ講和会議では、米英を中心とした自由主義陣営の大国は
 対日賠償請求を行うつもりは初めから無かったと言われるが、
 ジャヤワルダナ氏の発言が米英以外の国に再考を促すきっかけになったといえる

出典:http://www.j9-radio.com/japanese/sri_history.htm・・・J9 RADIO

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